作曲家について


演奏会で取り上げた作品の作曲家についての情報です。 

芥川也寸志(あくたがわやすし)

(1925年~1989年)

文豪芥川龍之介の三男として生まれ、幼少から父の遺品のレコードでストラヴィンスキーを聴いて育つ。東京音楽学校では橋本國彦や伊福部昭に指示し、1953年に同世代の團伊玖磨、黛敏郎とともに「3人の会」を結成した。一般にNHK大河ドラマ「赤穂浪士」の音楽が知られるが、代表作はオペラ≪ヒロシマのオルフェ≫(大江健三郎台本)、≪交響三章≫、≪交響管絃楽のための音楽≫、バレエ音楽≪蜘蛛の糸≫≪河童≫等、日本だけでなく世界でも評価され、ソ連で出版もされた≪弦楽のための三楽章≫は1953年、NYフィルによってカーネギーホールで初演され、今年で60年となる。(文責:西耕一)

 

伊藤昇(いとうのぼる)(能矛留)

(1903年~1993年)

長野県の呉服商の息子として生まれ、一時商業学校に入れられるが、音楽をするために17歳で海軍軍楽隊に入隊。軍楽術を学び、後の退団。トロンボーン奏者として映画伴奏オーケストラ等で演奏するうちに山田耕筰と知り合い、作曲を師事する。伊藤の日本の未来派として知られ、当時知り得る前衛音楽の全てを研究して1930年を中心に創作活動を展開した。無調、ポリリズム、ポリトーナル、微分音、様々な技法を取り入れて、モダンな創作を重ねたが、その多くは演奏されなかったようである。≪四分音階律による幼年の詩(1930年)≫も演奏された形跡はなかった。アロイス・ハーバが四分音を初めて使った弦楽四重奏が1921年作であることからも、いかに伊藤昇の創作が最先端を走っていたかがわかる。(文責:西耕一)

 

池辺晋一郎(いけべしんいちろう)

(1943年~)

1943年水戸市生。71年東京藝術大学院修了。66年日本音楽コンクール1位。同年音楽之友社室内楽作曲懸賞1位。68年音楽之友社作曲賞。以後ザルツブルクTVオペラ祭優秀賞、イタリア放送協会賞3度、国際エミー賞、芸術優秀賞4度、尾高賞2度、毎日映画コンクール音楽賞3度、日本アカデミー賞優秀音楽賞9度、放送文化賞、横浜文化賞、紫綬褒章など。主要作品:交響曲No.1~9、オペラ「死神」「高野聖」他。映画「影武者」「楢山節」「うなぎ」「スパイ・ズルゲ」「剱岳・点の記」TV「澪つくし」「元禄繚乱」他。演劇音楽約470本。著書多数。現在東京音楽大学教授、新国立劇場理事、いなとみらいホール他の館長、監督など。09年3月まで13年間「N響アワー」出演。(文責:西耕一)

 

伊福部昭(いふくべあきら)

(1914年~2006年)

北海道釧路生まれ。少年時代を過ごした音更でアイヌの文化に触れ、民族音楽に強い関心を持つようになる。札幌二中(現・札幌西高)を卒業後は北海道帝国大学林学実科に入学。在学中に早坂文雄、三浦淳史、長兄の宗夫、次兄の勲らと「新音楽連盟」を結成し、「国際現代音楽祭」を開催して最先端の現代音楽を取り上げる。卒業後は林務管として厚岸の森林事務所に勤務する。1935年、自身初の管弦楽曲である≪日本狂詩曲≫でパリのチェレプニン賞を受賞し、その3年後には≪ピアノ組曲≫がベネチア国際現代音楽祭に入船。一躍その名を知られるようになる。1943年に≪交響譚詩≫でビクター管絃楽懸賞一位入賞し、翌年にレコード盤は文部大臣賞受賞。戦後は東京音楽学校(現・東京藝術大学)作曲科講師に就任し、黛敏郎、芥川也寸志、池野成、松村禎三らの多くの作曲家を育てる。また、1974年には東京音楽大学教授となり、1976年に学統も務める。純音楽のみならず数多くの映画音楽の作曲でもよく知られ、中でも「ゴジラ」シリーズの音楽は人気が高い。代表曲に≪土俗的三連図≫、≪交響譚詩≫、≪サハリン島先住民族の三つの揺籃歌≫、≪シンフォニア・タプカーラ≫、≪ピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータ≫、≪バレエ音楽「サロメ」≫、≪郢曲「鬢多々良」≫、≪交響頌偈「釈迦」≫、≪日本組曲≫等。著書に『管絃楽法』、『音楽入門』。紫綬褒章受章、勲三等瑞宝章受賞、文化功労者。(文責:西耕一)

 

鹿野草平(かのそうへい)

(1980年~)

神奈川県横浜市出身。東京音楽大学作曲科・同大学院修了。2009年、第2回全日本吹奏楽連盟作曲コンクールにおいて、「吹奏楽のためのスケルツォ第2番≪夏≫」が第1位を受賞、同曲は2010年度全日本吹奏楽コンクール課題曲となる。代表作には「よみがえる大地への前奏曲」、「ファイブ・コンビネーション」、「絃楽四重奏のための≪ハード・テクノ≫」、アニメ「フラクタル」サウンドトラック等がある。作曲を有馬禮子、池辺晋一郎、甲田潤、西村朗、藤原豊、三木稔、水野修孝、指揮を紙谷一衛、汐澤安彦、薩摩琵琶を田中之雄の各氏に師事。(文責:西耕一)

 

貴志康一(きしこういち)

(1909年~1937年)

12歳でミッシャ・エルマンの演奏を聴いて衝撃を受け音楽への道へ進み、18歳でジュネーヴ音楽院へヴァイオリンで留学、20歳でストラディバリウスを購入、24歳でヴァイオリン協奏曲を作曲、自身が監督もした映画の音楽を作曲、25歳でベルリン・フィルを客演指揮と華々しい活動を知られる貴志。フルトヴェングラーやヒンデミットにも習い、将来を嘱望されながら28歳で夭逝した。貴志にとって現存する最古の器楽曲は、17歳で作曲した≪弦楽四重奏「まつり」(1926年)≫と思われる。また、貴志の年譜を見ると1926年2月6日・7日、中島中央公会堂でドヴォルジャック弦楽四重奏団の一員として演奏とある。(文責:西耕一)

 

小山清茂(こやまきよしげ)

(1914年~2009年)

長野の山奥に生まれ、民謡が身近に歌われる村で、当初は短歌に興味を持ち、一時は歌人を目指した。ラジオもない村で育ち、通信講座で安部幸明に作曲を学び、当初は教員として二足のわらじで作曲を続けた。その代表作は、小学校の音楽教材にもなった≪管弦楽のための木挽歌≫(1957)や吹奏楽曲の数々。木挽歌は日本のオーケストラの海外公演における貴重なレパートリーとなり、現在も多く演奏される。ノコギリで木を切るのをイメージした弦楽奏法で描かれる九州の木挽歌が題材となったもの。そのように民謡を採取して自作に取り入れることも多かった。主要作品に≪管弦楽のための信濃囃子≫≪交響曲「能面」≫≪管弦楽のためのうぶすな≫≪音楽劇「楢山節考」≫≪オペラ「山城国一揆」≫≪テープを伴った管弦楽による鄙歌第1番≫等がある。

白石茂浩(しらいしあつひろ)

(1958年~

1958 年うまれ。音大ピアノ科在学中より指揮を山田一雄に、卒業後1981~1983 年ウィーンにてクルト・ヴェスに師事。帰国後、作曲を團伊玖磨に師事し作曲家への道を歩む。

ヴァイオリンファンタジー(初演1988 年北九州)、現代舞踏のためのPersonalPhase(初演1993年アントワープ)、合唱とオーケストラのための諫早讃歌「有明」(1993 年諫早)、フルーティー・スイート(初演2005 年NHKFM 放送)、ソプラノソロ・バリトンソロ・合唱とオーケストラのためのレクイエム(初演2008 年諫早)、夕鶴幻想「つうの回想」(初演2009 年横浜)、弦楽合奏のための四章「春夏秋冬」(初演2013 年横浜)ほか

 

助川敏弥(すけがわとしや)

(1930年~2015年)

東京芸術大学卒業。在学中に日本音楽コンクール第一位、特賞。1960年、文部省芸術祭奨励賞。1971年、文化庁芸術祭優秀賞。1973年、国際放送作品コンクール「イタリア賞」NHK参加作品大賞。主要作品、ピアノのためのタペストリー、ピアノ曲「山水図」、ピアノ小曲集「ちいさな四季」、被爆ピアノとオーケストラと電子音による「おわりのない朝」、歌曲集「夕顔」、「薔薇の町」、合唱曲「白い世界」、等。環境音楽、鹿島建設本社ビル、技術研究所、道路公団東名高速「足柄SA」館内音楽。日本音楽舞踊会議代表理事。機関誌、季刊「音楽の世界」編集長。

 

團伊玖磨(だんいくま)

こちらを参照ください。

 

西村朗(にしむらあきら)

(1953年~)

東京藝術大学卒業。同大学院修了。日本音楽コンクール作曲部門第1位を初め、数々の賞を受賞。エリザベート国際音楽コンクール作曲部門大賞、ルイジ・ダルッラピッコラ作曲賞、尾高賞を5回、中島健蔵音楽賞、京都音楽賞、[実践部門賞]、エクソンモービル音楽賞、第3回別宮賞、第36回サントリー音楽賞、第47回毎日芸術賞。2013年紫綬褒章。2000年よりいずみシンフォニエッタ大阪の音楽監督、2003年より6年間NHK-FM「現代の音楽」の進行役、2009年より同Eテレ「N響アワー」の司会を3年間務める。また2010年より草津夏期国際音楽祭の音楽監督に就任。東京音楽大学教授。(文責:西耕一)

 

信時潔(のぶとききよし)

(1887年~1965年)

大阪で教会の牧師の三男として生まれ、賛美歌やオルガンを聴いて育つ。東京音楽学校ではチェロを専攻しユンケル、ヴェルクマイスターの二人に習う。≪海ゆかば≫≪海道東征≫が広く知られ、声楽なしの純粋な器楽作品としては、≪絃楽四部合奏≫が最も大きな編成。文部省の在外研究員としてドイツ留学をしてベルリン芸術大学でゲオルク・シューマン(諸井三郎や箕作秋吉の師)に作曲を師事。(文責:西耕一)

 

林光(はやしひかる)

(1931年~2012年)

東京神楽坂で生まれ、尾高尚忠と池内友次郎に習い、自由学園で早期教育を受けた。1953年には外山雄三、間宮芳生等と山羊の会(後に助川敏弥が参加)を結成。同学年の藝大中退は学外発表による大学側の態度と既成作曲家への疑問から。管弦楽、器楽、合唱、オペラ演劇映画音楽、様々なジャンルに及ぶ活動は、こんにゃく座、東京音声合唱団等多くのプロ・アマ合唱団、映画監督、劇団、緋国民楽派・・・と二人三脚で行った。林は「現代音楽に人間のうたを・・・」と、黛敏郎の「現代音楽に神を・・・」に絡めて言ったが「人間のうた」とは覚えやすいメロディーでも民族主義でも大衆路線でもなく、「今日の状況、僕らの時代」がもたらすもの。他人事では無く、常に自分の問題として書いた。数多いソングはそのような意思の決勝。声楽曲は勿論として、器楽曲にも反映されている。代表作は1958年に<水ヲ下サイ>を発表して2001年<永遠のみどり>までかけて完成された合唱曲≪原爆小景≫、傑作として誉れ高い≪ヴィオラ協奏曲≫(1995)、3つの交響曲、ギターや木琴の協奏曲、ピアノ・ソナタ、弦楽四重奏等々。JASRACの作品データベースに登録されている林光の作品の数は1666曲。その膨大な作品群はCD20枚(約25時間)、400ページの書籍で『林光の音楽』としてまとめられている。 (文責:西耕一)

 

別宮貞雄(べっくさだお)

(1922年~2012年)

ベルリン留学経験もある父のレコードを聴いて幼少から洋楽に親しむが、ピアノは19歳でバイエルからはじめた。旧制一高のクラブ活動でヴァイオリンと男声合唱(高田三郎の指導であった)を、さらに東大物理、後に美学へと進むが、研究心が高じて池内友次郎に作曲を師事。この頃は小倉朗や吉田秀和と交友を深め、パリ音楽院へ留学、ミヨーとメシアンに指示。矢代秋雄、黛敏郎が同期となる。帰国後は桐朋や中央大学で後進を育てた(中村紘子や堤剛も教え子)。その創作は4つのオペラ、5つの交響曲、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラへの協奏曲、ソナタ、声楽曲と満遍ない。いずれも別宮特有の自然な歌心と処方・構築性が見事に寄り添った音楽である。(文責:西耕一)

 

松村禎三(まつむらていぞう)

(1929年~2007年)

京都で生まれ育ち、旧制三校を卒業後上京。池内友次郎に師事して藝大を受験するも、両肺結核がっみつかり5年半に及ぶ療養生活を行い、一時は死の淵をさまよった。松村はその経験を、病身で動けぬままに一点をみつめて物事を考えたことは仏教の坐禅に近い境地であったと語る。根源を見つめる思考法は、「生命の根源に直結したエネルギー」「アジア的発想による音楽」へ至り、≪交響曲第1番≫を経て、≪管弦楽のための前奏曲≫、≪ピアノ協奏曲第1番≫、同第2番、オペラ≪沈黙≫に繋がる。映画音楽は100作、演劇音楽は50作を数える。教育者としては東京藝術大学、東京音楽大学等で教鞭を執った。著書に『松村禎三句集 早夫抄』、『松村禎三 作曲家の言葉』がある。(文責:西耕一)

 

眞鍋理一郎(まなべりいちろう

こちらを参照ください。

 

黛敏郎(まゆずみとしろう)

(1929年~1997年)

東京音楽学校が始まって以来の天才と注目され、1948年の≪ディヴェルティメント≫でデビュー。1950年ISCM入選。作曲は橋本國彦、池内友次郎、伊福部昭等に師事。パリ音楽院への留学は「西洋に学ぶものなし」と約1年で帰国。その後は、日本初の電子音楽を発表。芥川也寸志、團伊玖磨と「3人の会」を結成。1958年、梵鐘の音を分析してオーケストレーションに援用した≪涅槃交響曲≫、三島由紀夫原作のオペラ≪金閣寺≫、モーリス・ベジャール振り付けのバレエ≪ザ・カブキ≫、ジョン・ヒューストン監督の映画「天地創造」、市川崑監督の映画「東京オリンピック」等と矢継ぎ早に創作を重ねた。「題名のない音楽会」の初代司会者(1964~97年)としても知られる。(文責:西耕一)

 

三木稔(みきみのる)

こちらを参照ください。

水野修孝(みずのしゅうこう)

(1934年~)

千葉大学文学部(政経学部に転科)を経て、東京藝術大学楽理科で柴田南雄、小泉文夫等に学び、さらにジャズを渡辺貞夫に学んだ。多彩な経歴が反映された創作は「音楽の混血」を志向する。クラシックの伝統を受け継ぎ、ジャズ、ロック、テクノ、ヒップホップまでを取り入れ、世界各国の民族音楽を渉猟、音楽の混血・ハイブリッド化を追求する作曲家である。3つのオペラ、4つの交響曲、マリンバの協奏曲、5つのミュージカル、電子音楽や即興音楽まで多岐にわたる創作を知られるが、総決算である《交響的変容》四部作(演奏には3時間、奏者は700人必要)は26年に及ぶ年月を費やし完成された。2000年頃からシンプルだが味わい深い弦楽合奏を多く書いている。これまでに芸術祭優秀賞、千葉県文化功労賞他、受賞多数。(文責:西耕一)

 

山田耕筰(やまだこうさく)

(1886年~1965年)

1910年から3年間のドイツ留学で日本人初のオーケストラ作品を作曲した山田耕筰であるが、この曲は東京音楽学校時代のものである。その頃の山田派、ヴァイオリンニストのアウグスト・ユンケル(ハイフェッツ、エルマン、ジンバリスの師)とチェリストのハインリッヒ・ヴェルクマイスターに理論やチェロを学びつつ試作を重ねていた。信時潔も同じ二人に習っており、東京音楽学校で初めて結成された生徒の弦楽四重奏団のチェロ奏者は、幸田修造(露伴の末弟)→山田耕筰→信時潔と受け継がれた。ユンケルとヴェルクマイスターにより合奏の魅力を知った彼らはベートーヴェンの弦楽四重奏全曲をこなし、ブラームスはほぼ暗譜したという。(文責:西耕一)

 

山本和智(やまもとかずとも)

山口県萩市出身。独学で作曲を学ぶ。オーケストラ、室内楽、アンサンブル、合唱、独奏曲、映画音楽など 作曲活動は広範に亘り、作品は東京フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、京都フィルハーモニー室内合奏団等の演奏団体・演奏家らによって日本をはじめカナダ、フランス、ドイツ、オラン ダ、ベルギー、アメリカ、マレーシア、ロシアなど広く演奏されている。

2006 年モリナーリ国際作曲賞第1位(カナダ)、2007 年 AIC/Mostly Modern 国際作曲コン クール第1位(アイルランド)、2009 年度武満徹作曲賞第2位(審査員:ヘルムート・ラッヘン マン)、2010 年第5回 JFC 作曲賞(審査員:近藤譲)、2011 年、第 6 回ユルゲンソン国際作曲賞第2 位 ( ロ シ ア ) 、 TOKYO EXPERIMENTAL FESTIVAL ― SOUND, ART & PERFORMANCE vol.7 奨励賞受賞など作品は国内外問わず高く評価されている。和光大学表現学部総合文化学科非常勤講師。